日本で最も美しい村連合が世界連合へ

0
    9月4日 イタリア マルケ州 サン ジネージオと言う(人口約3000人)小さな町でついに、「日本で最も美しい村連合」が世界連合に加盟しました。

    フランス イタリア ベルギー カナダに次いで5番目の世界連合の一員となった記念すべき日となったのですが、私は幸運にもコーディネータとして立ち会うことが出来ました。日本の会長である美瑛町の浜田町長を団長とする14名の代表団の中に、去年日本の連合に入ったばかりの群馬県の中之条町の入内島町長も列席していて喜びがより一層ボリュームムアップしました。
    それと言うのも、中之条町は、母の実家があり私の故郷と言ってもよいほど親近感を持っているからです。
    入内島町長は若く実行力のある方で、将来を担っていくリーダーとなる方でしょう。それに町長は自転車が大好きなのです.
    美瑛に招待されたマリオ選手と浜田会長とプリミ会長
    美瑛町に招待されたマリオ選手、浜田町長、プリミ会長、


    日本の会長の浜田町長も自転車に乗るのですが、イタリアの会長のプリミ会長も自転車が大好きで、先日会いに行ったらビアンキのロードレーサーに乗ってさっそうと現れました。
    「自転車乗りは世界を結ぶ」ですね。こんなわけで美瑛町にセンチュリーライドが出来て、来年はイタリアに「イタリアで最も美しい村のロングライド」が誕生することになりました。場所はウンブリア州のトラシメーノ湖周辺となる予定です。
    10月3日の美瑛センチュリーライドには私は走れませんが、来年の「イタリアの美しい村ロングライド」は誰が何と言おうとも走ります。1人でも多くの日本の方が参加してくれることを願っています。私としてはまた楽しみが一つ増えたわけでやる気がふつふつと湧いてきます。

    今回の世界連合の加盟には長い時間がかかりましたが、素晴らしい達成感を私にプレゼントしてくれました。「イタリアで最も美しい村連合」の人たちと知り合ったのは4年前。「日本で最も美しい村連合」の方とは3年前、日本連合の方たちの情熱に動かされてここまで来ました。これからも両国の小さな町や村の交流のお手伝いが出来たらこんなうれしいことはありません。連合の皆さんサポーターの皆さん素晴らしい経験をありがとうございました。

    それともう一つ
    浜田町長、入内島町長、プリミ会長、DOMさん、絶対一緒にロングライドを走りましょうね。

    アキ


    イタリアで最も美しい村2 〜死にゆく町 -チビタ・バンニョレジョ〜

    0
      ローマは「永遠の都」と言われますが、そこから北に約100キロ「死にゆく町」と言われる町があります。
      それは宮崎駿の「天空の城ラピュタ」か、と思わせる美しい景観を持つ町、
        チビタ・バンニョレッジョ。
      実際に宮崎駿監督は、1980年の中ごろ、ブラッチャーノ湖にある、イタリア空軍博物館で、「紅の豚」に登場することとなる水上飛行機を見た後、「死にゆく町」として知られているチビタを訪れたと聞いています。
      エトルリア文化が起源の町であるチビタ・バンニョレッジョは、近接するオルヴィエートの町と同じく切り立った崖の上に存在しています。チビタの景観は、オルヴィエートの町を10分の1にしてさらに天に近付けた町、「天空の城ラピュタ」と言われれば、日本人なら納得してしまうほど感動的です。
      civita
       しかし、なぜ「死にゆく町」なのか。それは、このあたりの地層が砂の層の上に凝灰岩が堆積しているものが一般的なことによります。2000年以上前、この凝灰岩層を利用してエトルリア人達は町を建設したのですが、侵食に拠り凝灰岩の層の下にある砂の層が露出してしまったことがチビタの運命を決めてしまいました。
          チビタは必ず崩れ去る運命を抱えている!
      砂ほど侵食に脆いものはありません。約400年に起きた地震では、地滑りが起こり、町の北側約20%が失われ、エトルリア時代からローマ時代を経た2000年間で約半分の面積が失われたそうです。現在、チビタに戸籍を持つ人はたった8人。地震の前は約1000人以上の人々が住んでいたそうですが、その面影は今はもう見られません。
      しかし、近年のイタリア人の小都市への郷愁・回帰ブームによって別荘としての需要はあるようで、町の修復は進んでいます。観光客も10年前に比べると10倍ちかくになっており最近活動が注目されています。「イタリアで最も美しい村クラブ」参加町村(人口1万5千人以下の町村で環境・都市・観光政策の様々な要件を満たす必要がある)の中でここ数年、1番の伸び率を誇っていて、去年は法王の公式訪問まで受けるほど有名になってしまいました。チビタは限りある時間を美しく生きるすべを知っているかのようですね。

      AKI


      イタリアで最も美しい村 〜カステル・ディ・トーラ〜

      0
         これから、少しずつ私たちが今までに訪れたイタリアの美しい村や町をご紹介していこうと思います。
         イタリアは世界中でユネスコの世界遺産登録数が一番多いことも示すように、数々のお宝を持った国です。その美しさは、自然環境のみならず、人々の営みが作り上げた景観にあるとも言えます。
        ルネサンス発祥の地、芸術の都「フィレンツェ」、水の都「ヴェネツィア」、永遠の都「ローマ」等等・・・イタリア有名都市は何度行っても、素晴らしい。
         しかし、ここでは、「小さいことはいいことだ!」(♪大きいことはいいことだ〜♪のエールチョコレートの宣伝とは逆です。このキャッチフレーズを知っている方は、年代が知れてしまいますが。)をモットーに小さな村や町に焦点を当てていきます。

         今日は、記憶の新しいところから「カステル・ディ・トーラ」という村を訪れたときのことをお話します。
         カステル・ディ・トーラは、ローマから80キロ(車で約1時間)、トゥラーノ湖のほとりにあります。2月には珍しい小春日和の日曜日、空の蒼がまだ寒々しい鉛色の水面と対照的でした。

         この日、2月21日は、村の“大ポレンタ祭り(Festa di Polentone)”が行われました。古くからの風習で、四旬節(カトリックで復活祭前の40日間を言う)には肉食を避けてポレンタを食べたことから、今では毎年四旬節の第一日曜に、村の一大行事となった“大ポレンタ祭り”が行われるのだそうです。ちなみに、ポレンタとは、トウモロコシの粉に水を加えて火にかけて練ったもの。直径1m近くはあろう大鍋で、ポレンタがもうもうと湯気を上げ、美味しそうなにおいが村中に漂っていました。

         丘の上にある歴史的中心部まで続く坂道には、ポレンタや地元のサルシッチャ(ソーセージのようなもの)、豆の煮込みなどを食べられる仮設スタンドや、各地の産品を販売するスタンドが並んで、道にあふれた観光客は品定めに余念がありません。イタリアには400種類ものチーズがあると言いますから、こういった機会には今まで味わったことのないチーズに会えるのも楽しみのひとつです。
        マーチングバンド スタンド
         ポレンタは、後のお楽しみにとっておくとして、まずはぶらぶらと村の中心部を散策しました。
        この村を訪れるのは既に3回目ですが、岩石にまるでのめりこんでいるように建てられた家々や城砦には毎回圧倒されます。中世から住んでいた人たちが居たそうですが、教皇領として治められたり、第二次世界大戦下では海岸沿いを避けたドイツ軍の撤退路になったため、アメリカ軍の爆撃にあったりと、苦難の歴史を物語っているような黒い岩肌の上に村はあるのです。昔は貧しい地域であったにもかかわらず、渓谷に守られたこの地にわざわざ村を作り、村を愛して住み続けた人々の姿が偲ばれます。
        centro storico
         村の歴史を語ってくれたのは、副村長のジョバンニさん。ここだけの話、イタリアの喜劇に出てくるファントッツィによく似ていらっしゃる・・・のですが、カステル・ディ・トーラを復興させるべく長年、村長として奔走した方なのです。にこにこしながらも、戦後の貧しかったご自身の子供時代の思い出も交えて色々なお話してくれました。彼が子供の頃は、現金を見ることはめったになく、多くの村民は物々交換で物を賄っていたそうです。砂糖はクリスマス,復活祭などの重要な祭日のしか食べられない高級品だったそうです。 
        パノラマ
         現在のトゥラーノ湖はダム建設によってできた人造湖で、1938年に完成したダム工事が終わった後は、数年に及んだ工事は、村始まって以来の好況をもたらしました。しかし、第二次大戦のもたらした超インフレで村人の虎の子の貯金はほとんど紙クズ同然になった上、ほとんどの農耕地がダム底に沈んでしまい、多くの村民が村を捨て大都市、果ては海外にまで移住しなくてはならなくなりました。1950年代に600人以上居た村民が、現在では約300人にまで減ってしまったのです。ジョヴァンニさん自身も、1970年代に村の復興を決意して村長となるまでは弁護士としての本職のために村を出ていたそうです。
        平和なポレンタ祭りも、何とか村に人を呼びたいという村の人々の熱意から始まったもので、大鍋のポレンタを混ぜる人、ポレンタをタコ糸で切る人、サービスする人。皆、村の有志の人たちです。

         現在では、村の道は石のタイルで舗装され、荒れていた村が修復されて多くの観光客が訪れるようになりました。村の技師のアレッサンドロさんによれば、村の住民の高齢化が進んでいるので、村の下から上に上がれるようなエレベーターを作る計画も州に申請中とのこと。観光に訪れる人々にとって、村の生活を垣間見れることも、こういった小さい村を訪れる魅力ひとつですから、村の人々がいつまでも、より快適に暮らせるように、計画が通るのを祈っています!
        ポレンタを作る人たち ポレンタ
         さて、お祭りで振舞われたポレンタの粉は、石臼を使って挽かれたもの。粗すぎず細かすぎず、調理するとちょうど良い塩梅に仕上がる粒の大きさなのだそうです。トウモロコシ粉は銅の大鍋に入れて、薪を燃やした火に2時間もかけられます。大男が一生懸命混ぜ続けただけあって、焦げ付きは全くなし。ナイフではなく、伝統的な手法(タコ糸)で切られた不揃いな形の鮮やかな黄色のポレンタの上に赤いトマトソースがかけられ、食欲をそそります。実際に食してみると、トウモロコシの香ばしい風味が感じられて、今までに食べたポレンタの中で一番おいしかったです。また、トマトソースはアンチョビや湖で獲れる魚が煮込まれていて、これまた美味。おいしい、おいしいとボキャ貧を露呈していますが、サルシッチャや煮豆も美味しくいただきました。以前には、この村にあるアグリツーリズムで昼食を食べましたが、そこでのお料理も最高でした。

         重たいお腹を抱えて、近くのナヴェンガ山へのハイキングは断念。しかし、晴れていると山頂からはローマのサンピエトロ寺院まで肉眼まで見えるそうです。
         お土産には、美味しかったポレンタの粉を買って帰りました(自宅で少量を料理するときは、30分から40分弱火で調理すればOK)。

        EMI.H


        イタリアで最も美しい村 〜カステル・ディ・トーラ〜

        0
           これから、少しずつ私たちが今までに訪れたイタリアの美しい村や町をご紹介していこうと思います。
           イタリアは世界中でユネスコの世界遺産登録数が一番多いことも示すように、数々のお宝を持った国です。その美しさは、自然環境のみならず、人々の営みが作り上げた景観にあるとも言えます。
          ルネサンス発祥の地、芸術の都「フィレンツェ」、水の都「ヴェネツィア」、永遠の都「ローマ」等等・・・イタリア有名都市は何度行っても、素晴らしい。
           しかし、ここでは、「小さいことはいいことだ!」(♪大きいことはいいことだ〜♪のエールチョコレートの宣伝とは逆です。このキャッチフレーズを知っている方は、年代が知れてしまいますが。)をモットーに小さな村や町に焦点を当てていきます。

           今日は、記憶の新しいところから「カステル・ディ・トーラ」という村を訪れたときのことをお話します。
           カステル・ディ・トーラは、ローマから80キロ(車で約1時間)、トゥラーノ湖のほとりにあります。2月には珍しい小春日和の日曜日、空の蒼がまだ寒々しい鉛色の水面と対照的でした。

           この日、2月21日は、村の“大ポレンタ祭り(Festa di Polentone)”が行われました。古くからの風習で、四旬節(カトリックで復活祭前の40日間を言う)には肉食を避けてポレンタを食べたことから、今では毎年四旬節の第一日曜に、村の一大行事となった“大ポレンタ祭り”が行われるのだそうです。ちなみに、ポレンタとは、トウモロコシの粉に水を加えて火にかけて練ったもの。直径1m近くはあろう大鍋で、ポレンタがもうもうと湯気を上げ、美味しそうなにおいが村中に漂っていました。

           丘の上にある歴史的中心部まで続く坂道には、ポレンタや地元のサルシッチャ(ソーセージのようなもの)、豆の煮込みなどを食べられる仮設スタンドや、各地の産品を販売するスタンドが並んで、道にあふれた観光客は品定めに余念がありません。イタリアには400種類ものチーズがあると言いますから、こういった機会には今まで味わったことのないチーズに会えるのも楽しみのひとつです。
          マーチングバンド スタンド
           ポレンタは、後のお楽しみにとっておくとして、まずはぶらぶらと村の中心部を散策しました。
           この村を訪れるのは既に3回目ですが、岩石にまるでのめりこんでいるように建てられた家々や城砦には毎回圧倒されます。中世から住んでいた人たちが居たそうですが、教皇領として治められたり、第二次世界大戦下ではドイツ軍の撤退を狙ったアメリカ軍の爆撃にあったりと苦難の歴史を物語っているような黒い岩肌の上に村はあるのです。昔は貧しい地域であったにもかかわらず、渓谷に守られたこの地にわざわざ村を作り、村を愛して住み続けた人々の姿が偲ばれます。
          centro storico
           村の歴史を語ってくれたのは、副村長のジョバンニさん。ここだけの話、イタリアの喜劇に出てくるファントッツィによく似ていらっしゃる・・・のですが、カステル・ディ・トーラを復興させるべく元は村長として奔走した方なのです。にこにこしながらも、戦後の貧しかったご自身の子供時代の思い出も交えて色々なお話してくれました。彼が子供の頃は、まだ物々交換で物を賄っていたそうです。
          パノラマ
           現在のトゥラーノ湖はダム建設によってできた人造湖で、1938年に完成したダム工事が終わった後には、数年に及んだ工事での好況の反動と農耕地がダム底に沈んでしまったため、多くの村民が大都市、果ては海外にまで移住しなくてはならなくなり、600人以上居た村民が現在では約300人にまで減ってしまったのです。ジョヴァンニさん自身も、1970年代に村の復興を決意して村長となるまでは弁護士としての本職のために村を出ていたそうです。
          平和なポレンタ祭りも、何とか村に人を呼びたいという村の人々の熱意から始まったもので、大鍋のポレンタを混ぜる人、ポレンタをタコ糸で切る人、サービスする人。皆、村の有志の人たちです。

           現在では、村の道は石のタイルで舗装され、荒れていた村が修復されて多くの観光客が訪れるようになりました。村の技師のアレッサンドロさんによれば、村の住民の高齢化が進んでいるので、村の下から上に上がれるようなエレベーターを作る計画も州に申請中とのこと。観光に訪れる人々にとって、村の生活を垣間見れることも、こういった小さい村を訪れる魅力ひとつですから、村の人々がいつまでも、より快適に暮らせるように、計画が通るのを祈っています!
          ポレンタを作る人たち ポレンタ
          さて、お祭りで振舞われたポレンタの粉は、石臼を使って挽かれたもの。粗すぎず細かすぎず、調理するとちょうど良い塩梅に仕上がる粒の大きさなのだそうです。トウモロコシ粉は銅の大鍋に入れて、薪を燃やした火に2時間もかけられます。大男が一生懸命混ぜ続けただけあって、焦げ付きは全くなし。ナイフではなく、伝統的な手法(タコ糸)で切られた不揃いな形の鮮やかな黄色のポレンタの上に赤いトマトソースがかけられ、食欲をそそります。実際に食してみると、トウモロコシの香ばしい風味が感じられて、今までに食べたポレンタの中で一番おいしかったです。また、トマトソースはアンチョビや湖で獲れる魚が煮込まれていて、これまた美味。おいしい、おいしいとボキャ貧を露呈していますが、サルシッチャや煮豆も美味しくいただきました。以前には、この村にあるアグリツーリズムで昼食を食べましたが、そこでのお料理も最高でした。

           重たいお腹を抱えて、近くのナヴェンガ山へのハイキングは断念。しかし、晴れていると山頂からはローマのサンピエトロ寺院まで肉眼まで見えるそうです。
           お土産には、美味しかったポレンタの粉を買って帰りました(自宅で少量を料理するときは、30分から40分弱火で調理すればOK)。

          EMI.H


          calendar
             1234
          567891011
          12131415161718
          19202122232425
          2627282930  
          << November 2017 >>
          selected entries
          categories
          archives
          recent comment
          links
          profile
          search this site.
          others
          mobile
          qrcode
          powered
          無料ブログ作成サービス JUGEM
          JUGEMのブログカスタマイズ講座