L'Eroica 2013

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    エロイカ2013

    10月6日、今年もエロイカを体験してきました。しかし、自転車でコースを走ったわけではありません。わざわざ富士河口湖町の代表者の方が視察に訪れてくれたので、大会の様子を見ていただくためにサポートをすることになりました。

    エロイカはやはり、「百聞は一見にしかず」見てみなければわかりません。できれば実際に自転車で走って素晴らしさが分かります。
    富士河口湖町の方のレンタル自転車による飛び入り参加もあり、はエロイカの素晴らしさを100%味わっていただいたので、この視察は必ず2014年の「L'英雄」に生かされるはずです。ご期待ください。

    さて、エロイカ当日は土曜日に降った大量の雨が止み、雲はあるものの太陽が顔をだし天候に恵まれた大会になりました。降った雨のおかげで砂利道で埃が舞うこともなく一部ぬかるみがありましたが、約5000人の参加者にとってよく整備された道は走りよさそうでした。

    今回の注目はなんといっても、エロイカブリテンが仲間に参加することが発表になったことです。これでイタリア、日本、イギリス、がエロイカで繋がり、より国際性が高まってきました。最初の出会いからフィーリングが合うブリテンの仲間とのミーティングも行うことができ来年の第一回大会での再会を約束しました。

    5月は富士河口湖町、6月はイギリス、10月はイタリア、次はどこの国にエロイカは誕生するのでしょうか。できれば南半球の国で1月に開催ができる国がいいのですが。とにかく楽しみです。

    アキ


     


    日本とイタリアのの習慣の違い 11

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       イタリアの暗い照明

      イタリアに帰ってきて、友人のアパートを借りて一か月ほどたちます。
      気が付くのはイタリアの屋内照明が日本と比べてだいぶ暗いことです。しかし見方を変えると
      日本が無駄に明るくしすぎているのではと考え直しました。

      今年の3月に日本に久しぶりに帰り、アパートの照明がやけに明るく感じて、蛍光灯を2本あるところは一本にし3本あるところは2本にすぐにしました。

      イタリアに慣れた目には明るすぎてまぶしかったのです。その日本の自宅の明るさに慣れ、イタリアに6か月ぶりに帰ってきて、それでも日本の落としたはずの自宅の室内照明に慣れた目にはイタリアはなお暗いのですから日本がもしかして明るすぎるのかもしれません。

      明るさも慣れの問題ですから、日本がすべてイタリアなみの照明の明るさにしたら相当な節約になることは確実です。
      しかもイタリアは夏時間を導入していて太陽の光を有効に使っています。日本でも電気代の節約はもっともっとできるはずですね。

      しかし、昔、よくは思い出せませんが、チベットの山奥に住む家族の家に、やっと電気がとどき、夜も電球で明るくなり、ついに文明生活が手に入ったと思いきや、自給自足の生活をしていた家族は電気代が払えず、娘を売らなければならなくなったというストーリーを思い出しました。

      現在の日本は文明という名のもとに身を売りながら生きているような気がします。原子力発電所を維持することで多くの大事なものを失っていくのではないでしょうか。

      電気のために便利さは手にしました。しかし、使いすぎはドラッグと同じです。イタリアのように節約に努めましょう。夏時間も導入して原発の稼働なくして行くことは可能ではないでしょうか。

      あき

       


      イタリアの家の価格

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         31歳の友人がついに家を買いました。

        2人目の子供ができて、イタリア人の友人がウンブリア州の田舎町に家を買いました。

        マンションタイプで約80平方メートル、寝室が2つ、応接間、バスルーム、トイレ2つ、それに小さい部屋が1つ、もちろんベランダ付。

        日本と違うのは、地下にガレージ、屋根裏に物置が付いていて、家と合計で140平方メートルはあります。

        さて、値段は80,000€、日本円で約1000万円、

        約2000人の住む小さな村ですが、ウンブリア州の州都ペルージャ市に車で20分です。

        去年までは120、000€だったようですが、不景気で大幅割引したところを逃さず、オーナーと直接交渉して決めたとのことです。

        日本と比べてどうなのでしょう。一極集中ではないイタリアですので、田舎町とはいえ、地域コミニティーが存在するため住みやすいのは確かです。

        アキ


        モトグッチとナポリ 4

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          ベスパとの遭遇

          1981年、ナポリはその前年、ナポリ郊外で起こった地震で混乱していました。
          大学の教室も危険なため使えないところが多く、時々、教室が見つからず、晴れていれば屋外の階段を利用して青空授業も行っていたこともありました。

          治安面も最悪でクートロを首領とするナポリの郊外カモッラ組織とナポリ中心部を支配する13のボス達の共同体と戦争状態でした。ですから、夕方8時にお店が閉まると、ぴたりと人影が町から消えてしまいます。

          このカモッラといわれるナポリ周辺のマフィア組織同士の抗争は何年間も続くのですが、一年間に300人以上が死亡するカモッラ史上に残る壮絶なストーリーとなりました。

          日本の治安の良さに慣れ親しんでいた私にとって、驚きの新体験でしたが、生来の好奇心旺盛な性格で、街角に立つ派手な化粧をした女性たち?以外はまれにしか歩行者に出会わないナポリの夜を歩き回っていました。もちろん十分に気を使ってはいましたが。

          ある夜、友人を送って行った帰りに、後ろからスクーターの2サイクルエンジンの音が聞こえてきました。狭い路地だったので、道の右側によってスクーターの通りすぎるスペースを無意識に作りました。
          そのとき、頭に衝撃が走りました。ベスパに乗った2人組の後ろに乗っていた男が私の頭を殴って走り去ったのです。

          頭を殴られて、頭にきた私は、一瞬ひるみましたが、そのベスパ プリマベーラを追いかけて走り出していました。
          2人組はスピードを上げて振り切ろうとしますが、路地が狭く、2人乗りということもありななかなか私との距離は広がりません、私も走ることと体力には自信があったので必死にあとを追います。

          走りながら暗い路地にもかかわらず2人組の様子が分かり始めました。2人は年齢が12から14歳くらいで、ナポリではよくあるスクーターでひったくるをする連中の一組であることが明白です。

          彼らこの日、獲物を探してベスパで流していたら、私を見つけてひったくるものを探しましたが、もちろん私は何も持っていません、腹いせに頭を殴って逃げ去ろうとしたに違いありません。
          この若い二人組にとってはひったくりはゲームの一種にすぎないのです。

          既に追いかけ始めて10分ほどたったでしょうか。私も少々疲れてきて、2人組との20メートルほどの差はどうしても詰まりません。この二人組が大通りにでてスピードを上げてを走ったらとても追いつけるものではありません、しかしベスパはどうゆうわけか、狭い路地をスラロームしながらぐるぐる走り回ります。
          こんなことをしていて何になるんだと考え始めたところ、有名なジュリアーノというカモッラのボスの住むフォルチェッラ地区に入り、なんとボスのアパートの路地の横に2人組は入っていくではありませんか。

          ためらいながらその路地の入口に駆け込んだ時に、2人は路地から15メートルほどのところにベスパを捨ててアパートに逃げ込みました。

          ついに追い詰めました。はてどうしようかと考える前にそのアパートのドアをノックしたら出てきたのは中年のおばさん、彼らのうちの一人のお母さんのようでした。まだあまり上手でないイタリア語で2人の無礼を抗議したところ、「まあまあ、そんなに怒らないで」と私をなだめ始めたとき、アパートのの奥から2人がドアの陰からこちらを覗いているのに気が付きました。

          その4つの目を見たとき、なぜか私は笑ってしまい、それをきっかけに緊張感と怒りが解けてしまいました。

           
          そのファミリアは、その地区のボス、ジュリア―ノが仕切る密輸たばこの販売でやっと生活している母と子でした。お母さんに2人のひったくり小僧と一緒にコーヒーを御馳走になりそのアパートを後にしました。

          この騒動で、ちよっとフォルチエッラ地区で有名になった私は、その後、二度とその手のグループから迷惑を受けたことがなく、また誰も怖がって歩くことがないナポリの下町を自由に闊歩することができるようになりました。(2つのゾーンに限りますが。)

          怒りを抑えることも大事ですが、その怒りをコミニケーションの力に変えることを学びました。

          ナポリでは多くの矛盾の中で生きていかなければなりませんが、矛盾の中でも生きる目的を持たなければならない人たちの知恵がナポリの人たちの明るさの後ろにあることを知ってほしいと思います。

          アキ



          L'英雄 第一回

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            5月18日19日「 L'英雄」が楽しく開催されました。

            今日、やっと落ち着きましたので第一回の「L'英雄」を振り返ってみます。

            天気は雨ということだったのですが、朝から晴れ、富士山も雲はありましたが、美しい姿を
            見せてくれました。これだけで自転車イベントは50%以上成功したといえますので、運が良かったといえるでしょう。
            また、富士河口湖町の方々のすばらしいご援助で開催にこぎつけ何からなにまでボランティアで活動していただき感謝に堪えません。

            また、参加していただいた方々がみな素晴らしい自転車ファンで気持ち良く交流し楽しんでいただけました。来年も必ず開催し皆様の期待に応えるつもりです。

            しかし、やはりいくつかの反省点があります。

            我々はご存知のように準備が遅れあたふたとしたまま当日を迎えました。コースもなかなか決まらず、前日になりコース変更をしなければならない羽目になりました。
            このため、コース説明が複雑になりわかりにくくなったのは残念です。また何名かのサイクリストはコースを間違い、無駄な時間を費やしてしまいました。ゲストの鳴島英雄さんもコースを間違ってしまいゴールにたどり着けませんでした。(まことにすみません)
            来年は山中湖もコースに入れて150キロを一番長いコースにして、50キロ、100キロ
            の3コースで開催したいと思っています。コースマーカーは大きくして数を増して皆さんが
            安心して走れるように準備をしてお待ちします。

            我々の目標は、富士河口湖町に「日本の自転車歴史博物館」を設置し、世界に誇れるサイクリングロード、「英雄サイクルロード」を作り上げることです。何年、何十年かかるかわかりませんが、富士河口湖町の方々のご援助に報いるためにも努力していくつもりです。


            第一回目どんな大会かわからないまま参加していただいた勇気ある「英雄」の皆様に改めてお礼を申し上げます。

            有難うございました。!

            中澤昭憲


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